ちゃらんぽらんじゃなさそうなプチ小説 12.その日

その日もいつものように、旦那の機嫌が悪かった。

沙耶はこいつが家にいる時は、いつもびくびく怯えていた。

いつ、身体を求められるか。そして、拒めば良い時で一日中ふて寝。ほとんどが暴言を吐き、暴れ、時には暴力を振るう。

沙耶はなるべく子供に見せないようにと、なだめたり、あとでと焦らしたり、子供を寝かしつけたりして、なんとか頑張ってきた。

こんな父親だが、子供には悪い父親だと思わせたくなかった。

こいつのためじゃない。子供のため。それしかない。

「なんだよ。いぃじゃん。ちょっとだけ。
 すぐ終わるからさぁ。」

耳にかかる息で、沙耶の全身に鳥肌がたつ。

「ん、わかった。わかったってば。
 じゃヒロを公園に連れてって遊ばせようよ。
 たくさん動いたら夜ぐっすり眠るから。
 そしたら。ねっ。」

甘い声を出して、後のお楽しみと言わんばかりにこいつを説得した。

「そうか。そしたらたくさんできるんじゃん……。
 おーっまじ興奮してきた。」

「うふっ。でしょー!じゃ水筒だけ用意してくから、先ヒロと行ってて! 私もすぐいく!」

公園まで歩くくらいなら、この人でも大丈夫だろう。

沙耶は2人を送り出し、水筒とおやつ、タオルなどをリュックに詰めた。

♫チャラチャラリン……♫

会社からの電話だった。

今日出張している同僚から、沙耶が作った資料についての確認だった。
電話では伝わりきらず、仕方なく沙耶は効率を考えてパソコンを起動してその場で修正して送信した。

「思ったより時間かかっちゃった」
 
電話を沙耶は急いで公園へ向かった。

さっきまで青空だったのに、空には不穏な真っ暗な雲が出てきて、今にも雨が降りそうだった。

「まずいな。雨まで降ってきちゃう。」

ゴロゴロー

大きな雷が鳴って、やはり雨が降り始めた。

「あー、降ってきたかぁ。傘……取りに戻るしかないか。」

と、家へ戻ろうと振り返ると、血相を変えた旦那が道路の向こうに見えた。

何があった?

沙耶は嫌な予感がして、自分の血の気が引いて行くのがわかった。

「ヒロが……ヒロがいないんだ!」

沙耶は一瞬目の前が真っ白になって、世界がぐらっと大きく横揺れしたようだった。

「どういうこと!?」

いままでこいつに向かって放ったことのない強い口調で詰め寄った。

沙耶に胸ぐらを掴まれたこいつは、力なく後ろに尻餅をついて、情けなく言った。

「ちょっと目を離したら……いきなりいなくなって。
 探したんだけどいないんだよ!」

「じょ 冗談でしょ?」

沙耶は震える唇を押さえながら、公園へ走った。

「ヒロ、いるよね。大丈夫だよね?そこにいるよね?」

自分に言い聞かせるように呟きながら、夢中で走った。

いつもヒロと遊ぶ、飛行機の遊具のところには姿がない。
てんとう虫の遊具の中にも、ヒロの姿はなかった。

広場の外に出たの?

遊具があるこの広場の周りには、自転車などが通れる小道が通っているので、1人では広場からでないように約束していた。

小道の向こうには、池もあるからだ。
池の横には駐車場もある。

沙耶はそっちにはいないで欲しいと思いながらも、なんとなく足を向けた。

「おい!匠!しっかりしろ!」
「誰か救急車よんだか?」

池の横のちょっとした広場に、少年の集団が横たわる仲間と思われる人物を揺さぶっていた。

バイクがそばに横転していて、あちこちのバイクの部品が広場に散らばっている。

転んだのだろうか?

「おい!やべーよ!ぶつかったちっちぇー子、池に落ちたのは確かだよな?」

「おぉ、俺もみたぞ。」

「早く探さないと。」

「なんでいねーんだよ。この池そんな深いか?」

池には、集団の仲間と思われる少年たちが、棒や木の枝を持って、青白い顔で何か探している。

「ちっちぇー子……?」

まさか…… ちがうよね?

沙耶の頭には悪い想像しか浮かばなかった。

よろつきながら池の少年たちのひとりに、やっとの思いで話しかける。

「ねぇ……どうしたの?何があった?」

沙耶の顔も少年たちと変わらなく、いや、もっとひどく青ざめていたが、少年もそれに気がつく余裕なんてない状況だった。

抑えた不安を爆発させるように

「ぶつかったんだ!男の子と。ほんのちょいぶつかった。それで、たしかに池に落ちた。」

「だだけど、いないんだよ。」

わぁーっ。少年は泣き崩れた。

「いないって……。 そ その子は、どんな服 だった?」

ガチガチと歯が震えて音を立てる。

出かけた時の、ヒロの服装を頭に浮かべる。
紺の帽子に、白のTシャツ。デニムのハーフパンツ。

「わかんないよ。もーわかんない。」

「分かんないじゃないでしょ?しっかりして!」

もどかしさのあまり沙耶の声が怒りに変わった。

少年は不安と恐怖に震えながら、うつむいていたが、ふっと顔をあげ呟いた。

「飛行機……」

「……っ!」沙耶は崩れ落ちた。

ヒロのデニムのハーフパンツ。
それには大好きな飛行機のプリントが後ろポケットに着いていた。

救急車が病院に到着し、担架が猛スピードで処置室へ走る。
処置室の扉の前で、沙耶は制止され、その場で力なく座り込んだ。

どのくらい時間が経っただろうか、処置室へ入るように言われた。

処置室のベッドの上。冷たくなって小さく小さく微かに息をする息子の横に、沙耶は恐る恐る近づいた。

一歩、また一歩……進むごとに変わり果てた姿が目に色濃く映し出されて行く。ついに手が触れられる距離に来た。

「ヒロ、目を開けてごらん。」

頭を撫でる。
沙耶の目から涙が溢れて視界からヒロの姿がぼやけて見えなった。

髪の毛の上からでも感じる冷え冷えと氷の様に冷たい体温。
そーっと、頬をさわってみる。

「……っ」なんて冷たさ。

「ヒロ!」
「何でこんなに冷たいの?ママがあっためるから。
 寒いんでしょ?」

冷たく横たわるヒロを抱き起こして、懸命にさすって温める。

「ママといればあったかくなるから!
 ほら。だから。おねがい!」

「マ マ。あったかぃ……。」
自分の声でかき消されそうなヒロの声に、沙耶は急に息を押し殺した。

それが最期の言葉だった。

最後の力で、そう笑った。こんなに幼いこの子はしっかりと私との約束を守って逝った。

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