沙耶は匠の家から一度も止まらずに走った。
怒りと、何故か涙が出てきて止まらない。
だから、余計息が苦しくて、ゼイゼイ言いながらとにかく走った。
ヒロは、ヒロはもういないのに。
なんであいつらは……何の罰も、痛みも何一つ受けずに生きてる?
あの子は、あの子はまだたくさんやりたい事もあったろうに。
もっともっと楽しいこと、したかったろうに。
悔しい。悔しくて喉の奥がキリキリと痛む。
もう声も出ない。
だけど、何だろ?もうひとつ自分に感情があって涙が溢れる。
何故か匠が頭に浮かぶ。
憎くてたまらないのに、なんで側にいたいって思う?
どうして今抱きしめてほしいと思っちゃうの?
匠から事故の連絡があった時、心配で心配でいれなかった。
そして……無事な顔をみて、本当にホッとした。
なんなんだろ。私。自分が真っ二つに切り裂かれるようだった。
憎しみと愛情……。
どちらも間違いなく、沙耶の心に存在している。
でも、やっぱり……
沙耶は来た道を振り返るなり、また走り出した。
匠に抱きしめて欲しい。
今、どうしても。また「大丈夫か?」って優しく撫でて欲しい。
さっきまでぐちゃぐちゃと色んなことを考えた頭ん中は、すっかり空っぽになって、ただ匠に会いたい。それしかなくなっていた。
あの角を曲がれば、匠の家だ。
もう少し。
家が見えてきた。明かりが付いているからまだ起きてるんだろな。
少しためらいながらも、携帯で匠に電話しようとしたが、その時匠と父親がリビングから続くウッドデッキに出てきた。
「最近、調子はどうだ?発作が起きることはあるか?」
「調子はぼちぼちです。特別良くもなく、悪くもない。」
「しかし、この間例の発作が起きてねぇさんが迎えに行ってただろ?」
「……なぜかわからないけど、クラクションとか、車とかバイクの爆音とか?そーゆーの聞くと酷く頭痛が起きることはあります。」
「バイク…。 そうか、心当たりはないのか?」
「いや、考えても思い当たらなくて……。」
ただ、見覚えのある公園で何か叫びながら泣きわめく女性の姿。
誰かもわからないし、いつの記憶なのかもわからない。
何故か時々その光景がふと頭に浮かんで、すごく悲しくなる。
あれはなんなんだろ……。
「そうか…。まぁ気をつけるんだぞ。無理はしなくていい。」
そう言って匠から背を向けた父親の顔は、深く息をついた。
沙耶の顔は表情を失っていた。
声もなくただ静かに佇んでいた。冷たい目をした人形のようだった。
「記憶がない?」
たしかに匠がバイクでヒロにぶつかった。
そして池に落ちた。
池に入ってヒロを探していた少年たちは、泣いていた。
ヒロがいないと泣いていた。
もちろん、ぶつけた本人ではないにしろ、一緒に乗入れ禁止な公園でバイクを乗り回していた仲間なら、だれが加害者になってもおかしくないから、少年たちはみんな憎かった。
でも、彼らは必死にヒロを探し、見つからないことに自分を責めていた。
例え処分を受けなくても、彼らの心の中の罪の意識は一生消えなく、一生背負って生きていると思うと、少し可愛そうな気持ちがほんの少し、沙耶の中にあった。
それなのに……。
「忘れたの?何にも覚えてないの?ヒロの存在さえ?」
沙耶の心はまた一気に氷に閉ざされるのだった。