翌日、沙耶は仕事帰りに匠の病院に向かった。
「沙耶ー。会いたい。」
昨日の匠の言葉に胸が鳴った自分に罪悪感があった。
ごめん。ヒロ。
心は行く事をためらっているが、足は病院へ向かっていた。
これは、計画を実行しているだけ。
ただそれだけ。
くだらない気持ちは計画の邪魔になるだけ。
とにかく、匠を魅了する。愛されれば愛されるだけ、深く傷つけられる。
「そう。計画通りでしょ。」
沙耶はさらに足早になって、病院に向かった。
病院の敷地内の散歩コースのベンチで匠は沙耶を待っていた。
「沙耶!ここ!」
少し息切れする沙耶に、匠が手を振った。
ニコッと笑った顔が、明らかに疲れと悲壮感を隠し切れていない。
沙耶は匠の前に歩み寄って、なんのためらいもなく
「おいで。」
大きく手を広げて言った。
匠は一気に気持ちと身体の力が抜けて、沙耶に身体を任せた。
沙耶は、力一杯、そして優しく匠を包み込んだ。
もちろん、小柄な沙耶が匠を覆い切れるわけがないが、すべてを受け止めて、包み込んでもらった。
そんな安心感で満たされた。
「ありがとう……。5分でいいから。」
匠はふーっと息を着いて、目を閉じた。
「急速充電だ。」
♫チャラララン……
匠の病院携帯が鳴る。呼び出しだ。
「先生!敦也くんが!」
匠の顔色がまた一気に変わった。
2話
ショッピングセンターの事故の少年が運ばれてきてから、匠はほぼ寝ていない。
勤務時間が終わってから、少年のところへ毎日通った。
機械に囲まれ、命は生かされていた。
少年が目を覚ますことは、ほぼ無いだろう。
奇跡でも起きない……と。それほど絶望的なことは、匠も重々わかっている。
でも、生きて欲しい。母親のためにも。
そして、匠自身、幼くして命絶えるのを見たくない。母親の嘆き悲しむ姿を見るのは辛すぎる。
少年の母親が、清掃員の制服だろうか?疲れた様子で病室に入ってきた。
匠は椅子から立って、母親に座るよう促した。
しばらく沈黙が続いた後、母親が口を開いた。
感情がなく、ただ淡々と匠に聞いた。
「この子は……生きてますか?」
匠は何と答えたら良いのかが分からなくて黙ってしまった。
「この子は、生きたいのでしょうか?それとも……。」
「生かしたいとおもうのは、私のエゴなのでしょうか?
この子の、気持ちが……母親なのに、分からないんです。
目が覚めることは、奇跡でも起きない限りないと分かってます。
その奇跡を……たとえ、1%の奇跡だとしても……それにすがりたくて、この子にこんなにたくさん機械をつけてる。
ずっとずっと側にいて、手を握って、頭なでて、目が開く時を待っていたいのに、私はそれもしてあげられない。
ひとりぼっちにしてる。
働かなきゃ生かせてあげれない。でも、働いたら側にいてあげられない。
もし、離れてる間に、この子を一人で逝かせてしまったら……
毎日そればかり考えて。
分からなくなるんです。
この子、とっても優しいから。きっと私を心配している。
私は、生きてと祈って良いのか。
この子はどんな想いで……いるのか。。」
少年は……植物状態という、きっと本人にとっても、母親にとっても辛い状態だった。
匠はただ……少年を見つめるしかなかった。
気がつくと、時計の針は頂上で重なり、そして新しい日を刻んでいた。
世界は時を確実に刻み、明日に向かって進むのが当たり前なのに。それが当たり前でない。
匠は病室を後にして、しばらくは毅然に歩いたが視線の先に沙耶の姿を見た気がすると、急に視界がぼやけて見えなくなった。
涙が溢れたらしい。
沙耶を探るようになんとか前へ進む。
ふぁっと、温かいものが匠を包んだ。
沙耶は黙って、匠の頭をなで、肩を抱いた。
匠は大きく息を吐いた。溜め込んだ感情をすべて吐き出すように、思いっきり。
すこし肩の力が抜けて、また、涙が溢れた。
「俺、かっこわりぃーな。」
「かっこ悪いのが、ちょっとかっこいいよ。」
匠は沙耶をぎゅーっと抱きしめた。
たまらなく愛おしい……そう思った。