ピコン。
『痛みどう?痛かったら我慢しないで薬飲んで!』
ピコン。
『なんか困ってることない?足りないものとか…。』
フフッ。
「お母さんみたい。」
沙耶は匠からのLINEを見てつぶやいた。
母が生きていたらきっとこんなやりとりをするんだろうな。
母は夫の事で悩む沙耶を見て、いつも心配していた。
沙耶も沙耶で、母に心配かけたくない一心で、辛いなんて一言ももらさなかったし、母の前だからこそ、明るく笑ってみせた。
母は、沙耶の気持ちが痛いほどわかって、無理に笑っている沙耶をみて一層切なかったと後から話してくれた。
沙耶が、子供を寝かしつけた暗い部屋で一人……声を押し殺して泣く姿を見て、見ていられずその場を立ち去った。
子供がいくつになっても、子供は子供。
子供の悲しみは何倍にもなって、胸に突き刺さる。
そう、辛そうに話してくれた。
母は最期まできっと沙耶を想っていた。そして今も、空から沙耶を心配しているに違いない。
沙耶は突然の母との別れに、心が追いつかなくて信じられなかったが、母が生前ずっと望んでいた闘病生活なんてない、あっけない、潔い最期を飾れたことをきっと喜んでいる事だろうと、そう自分に言い聞かせていた。
私は大丈夫。だからもう、ゆっくり休んで。
母さん。
『さっき痛み止め飲みました。
痛くなる前に寝ます。今日もありがとうございました。
おやすみなさい。』
『わかった。なんかあったら何時でも気にしないですぐ連絡して!
おやすみ。』
匠の医師としての使命感なのか、誰にでも優しくできる人なのか、はたまた沙耶だから気にしてくれているのか…。
いずれにせよ、沙耶は嬉しくて、穏やかな気持ちに少しだけ浸ることにした。
「怪我人の時くらいいいよね?」
『ありがとう』
さやは可愛いスタンプも一緒におくった。
既読の文字は付いたが返信はなかったが、匠がスマホをみて微笑んでくれる姿が自然と浮かんだ。
沙耶は静かにまぶたを閉じた。
ピピピピピ…。アラームがなる頃には沙耶はとっくに起きて出勤の支度を始めていた。
沙耶はなんでも計画的に動く性格なので、この手では支度時間は1.5倍増と、見越して早く起きてしまった。
案の定、この手…ちっとも使い物にならない。
「手首ってこんなに普段使ってるんだね。
ココ曲がらないと、ほんと何にもできないや。」
マグカップを持とうとしても、持ち上がらないし、シャツのボタンを、はめようとしてもボタンを掴むこともひと苦労。
「ファスナーならまだやれるかな?ジャージにする?
いやいや、会社にジャージは無理でしょ。
体育の先生ならともかく。」
沙耶は自分で自分にツッコミをいれながら、途方に暮れ始めていた。
ピンポーン。
インターホンが鳴り、モニターを見る。
匠がインターホンのカメラを覗き込んでいる。
待て待て。どーしよ。メイクだってやりにくいったら無くてほぼ諦めた。
着替えもできてない。
とりあえず、そこにあったカーディガンを羽織ってドアを開けた。
「おはよ。」
優しい声で匠が言う。
「痛みは?」
心配そうに手首をそっと見る。
「会社休まなくて大丈夫?たぶん、今日の方が痛みが出るかも。」
たしかに、痛み止めをまだ飲んでいない事もあるけれど、ズキズキしている。
「あがっていい?とりあえず薬飲まなきゃだし、飲むにはなんか胃袋に入れないと。朝飯は?」
「まだ…です。」
「ほら!食べやすそうなの買ってきたから。」
おにぎりやサンドイッチ、パン。スティック野菜。
野菜ジュース。カップスープ各種…。
プリン。ヨーグルト。
片手でも食べれそうな食料がテーブルいっぱいに並んだ。
「さ、とりあえずどれ?」
沙耶はふっと笑って、「お母さん、ありがとう!」と匠にふざけて言った。
「えーオカンかぃ。性別違うし。せめてオトウだろ。
ほんとは彼氏がいーけど。」
え?
あっ。
「え?」は、沙耶
「あっ。」は、匠
お互い顔を赤らめ思わず背中を向け合った。
が。その拍子に匠がサンドイッチを落とした。
グチャッ。
「あーっ。」
2人同時にテーブルの下に落ちたサンドイッチの救出に向かった。
テーブルの下で、無残に角が無くなったサンドイッチを哀れみながら2人で目を合わせ、笑った。
「サンドイッチ角取れて丸くなりましたぜ。」
「きっと優しくなりましたね。この子。」
ケラケラと笑う沙耶をジッと見つめる匠。
その視線に気づく沙耶。
匠の左手が沙耶のむこうのテーブルの脚を掴む。
2人の距離、20センチ。
匠の右手が沙耶の唇をそっとなぞり、耳元から首筋に触れる。
距離10センチ。首筋の手が沙耶を引き寄せる。
匠の唇が沙耶に触れた。
距離0センチ。
一瞬だけ触れてすぐに離れた。
我に返り、2人ともちょっと後ずさりしたが、また匠が沙耶を引き寄せる。
また匠の唇が沙耶に触れた。
優しいキスをする人だ。
沙耶は不思議と震えていなかった。